がたんごとんがたんごとんがたんごとんと電車が振動するのは現代社会に於いて公共交通網が発達している場所であれば用意に視覚可能な光景であり 広範囲に渡り日常の心象として共有された懐かしい音であるだろう。その際に発生する音を言語化しなさいとスケッチブックとペンを渡されると大抵の人間であれば キュッキュと紙に「ガタンゴトン」と書くと推測される。だが然し困ったことに彼らの磁石球 (彼らの代表的な記憶装置の一つ。人間で言うところの脳に該当すると呼んで差し支えない。強力な磁性を持つ特殊な磁石の粉末が塗布または蒸着した金属のディスクを 一定の間隔で何枚も重ね合わせた構造になっており直径5cm程度の球体として目視可能。普段は個体差があるが大抵口腔内、特に舌の奥などに収納してある) はとても高性能でありながら不安定であるためうっかり大事なレコードを噛んじゃった等と言い出す彼らが後を絶たず、そもそも日常的に色々なものを落としてしまったり 零してしまうのを彼らと呼ぶため彼らは電車の音を何と捉えているか正確に知るものは居ない。新宿駅東口の交番では毎日三桁以上の「彼ら」の砂の落し物がある。 今日の夕飯でも買いに行ったのかお使いのメモだったり、恋人が吸う煙草の銘柄だったり、あいうえおのつぎがかきくけこだということだとか、 カーテンは窓につけるものだとか、コップと花瓶の違いだとか、猫は伸びるけれど犬は伸びないとか、キリンの首はだるま落としするものではありませんとか、 そういう社会規範とずれたのはまだいいとして時としては人を殺してはいけませんなどというものもあり、 ついでに赤い包丁を持って困惑顔でただ謝罪をしながら連行されていく彼等を見ることもできる。かわいそうでもある。 そんな訳だから彼らの忘れ物が多いのは彼ら保護責務がある僕等一般市民であるところの人間たちにとっては周知の事実である。 だから僕の友達だと自称する彼らAが当たり前のように僕の隣に座り込んできても僕はなんら不思議に思うこともなく、 そしてガタンゴトンについて話が共有できないのもなんら不思議なことではない。ポールモールを当たり前のように薦めてくるくせに指の皮膚に着火しようとするのだって 恐らく煙草に火をつける手順を忘れたか噛んだか飲んだかコーヒーに溶かしたか豚の角煮作るときに落し蓋と一緒に落としちゃったかそんなものだろう。 僕はA君のジッポを奪い勝手にポールモールに火をつける。A君はどうやら僕と同じ場所に行く予定だったらしく砂のミルキーを口に放り込みながら 「君はタバコ吸うときかっこいいよねえ」と言う。車内では禁煙というアナウンスも「ただし砂さん及び砂さんの周囲の人間だけ可」 と続くため彼らの保護法の恩恵として僕は今車内でポールモールを吸えた訳である。A君を一瞥するとどうやら人間としては可愛いらしい部類であるような気もするが 彼らはともすると彼らとすれ違ったときに捕食と結合を始めてしまうため、目的で無い目的地に着いた途端ホームに居た彼らAと彼らBから新しい彼らCが生まれてしまう しその場合外見が著しく変化するのは仕方の無いことである。数分後に違うA君に変貌するA君を可愛いと言い切ることの出来る軟派性を不所持な僕は煙草の火のつけ方 がわからないのかガリガリと食べ始めるA君に「君に煙草はあまり似合わないよ」と返し箱ごとそれを貰った。性格には奪った。 少なくとも現在のA君は可憐であるために人間的価値観で図れば似合わないと結論付けることが可能である。 するとA君は何が琴線に触れたのか化粧っ気の無い唇でかすかに笑った。
海岸に堆積している屍体の砂礫を嚥下すると磨耗した寿命を補給出来るだ、とは僕等が初等教育にあがってすぐ学習する事項である。 まずランドセルを背負い等間隔に整列された椅子に座りせんせいが黒板に石灰で描いた言語を延々と復習する。構成上彼らは致命的なまでに記憶力が弱いため、 「落ちているものを拾えばそれは自分のものになります」「隣の人を飲んではいけません」「もちろん噛んでもいけません」「(承諾を得た場合に限り可)」 これを延々と繰り返す。政府の教育の賜物かこの基礎は彼らの中で確りと根付いており、彼らはお互いに約束をしてから町中で所かまわずお互いを舐めて結合し 欠損した腕や足をそこらかしこの街路樹のあたりに投げ捨ててしまうのだがそれはまあそれで。 彼らはなんやなんやしているうちに他人を縫合し無機物を結合し挙げ句の果てには腹部にできた空洞を気にせず歩っている。 最初からである、と彼らは認識しているし、ひとつならくっつくべきだ党が主力の彼らなので、こぼれている腕の砂を飲んで窒息死する彼らが絶えない。 誰かの記憶が始まる頃から継ぎ接ぎだらけだっただそうだ。誰かとは政府のお偉いさんでも恐らく知りえない。誰かとは?
「どこに行くんだっけ?」
「日暮里」
「なにがあるんだっけ?」
「僕の家」
「私はそこ行くんだっけ?」
「たぶんね」
僕がケータイでSNSの更新ボタンを連打している間A君は何を了解したのか成程と納得しながら裸足をぷらぷらとさせている。 彼らに服装の概念は余り無いのか真冬だというのに裸足である。それでも首には分厚い黒のスヌードを巻いているし手袋をしているので寒いのかもしれない。 あいにくと僕は彼らについての基本情報しか知りえないのでそういえば五感についての基礎情報などは読んだことが無い。 だからといって別段特に困ることが無いのは地球の地軸が何度傾いているのかを知らなくても生きていける日本人が大多数を 占めているという事実が証明してくれている。がたんごとんと揺れていた電車は静かに速度を落としホームに入る。 「今日食べたご飯」「読んだ映画の感想」「くだらない感傷」 友人の日記に他愛の無い賛同コメントを業務的に返している間、A君は「田端、田端」アナウンスがご案内するのに従い片足が無い彼らが ホームに跳躍し着地した瞬間砂上化してホームにさらさらと広がるのを瞬きをせずに見ていた。 彼らはああやって時々電池が切れたかのように形状を保てなくなり壊れることがある。別に珍しく無い光景だ。彼ら学者が言うには「永久的にくっ付いたり取れたりする 彼らには「個体」という概念が存在しないため一つ一つにとって寿命というのが無いのだが、何を間違えたか時々一つを維持しているものがバランスを崩し崩壊することが ある。それは悪いものを食べたからとか病気になったからとかいうわけではなく、彼らにだけ感染する病原菌があるというわけでもない。ただなんとなくぶつりと 壊れることが多々存在する」とのことである。だから彼らが壊れたのは特に珍しいことではなくもちろんそれはA君に於いても同様の筈である。 人々は何事もなかったかのように彼らの砂の上を踏み電車に乗り込む。カツカツとヒールを履いたスーツ姿の女性が駆け込んできて彼らの目玉があったところを 丁度踏み付けた。少し間に合わなかったのか、目玉を抉ったと同時に「駆け込み乗車はおやめください、駆け込み乗車はおやめください、発車します…」 というアナウンスが流れる。襟元の乱れたスーツと砂で汚れた高いハイヒールの彼女の目の前で淡々とドアは閉まりホームとともに遠ざかっていく。 顔は良く見えない。がたん、ごとんがたん、再開。
「あとどれくらいかなあ」
「ちょっとかな」
「ちょっとってどんなの?」
「小指くらい」
「小指ってどれ」
それだよ、と形のよい小さい爪を指差す。手には何も無機物を取り込んでいないらしく触ると人間のような温かみが僕の皮膚に伝わる。 「これくらい」A君は僕の言葉を復唱してから右手の指を左手で触り関節を反対方向に曲げたり伸ばしたりしている。僕はそれを見ながらケータイを右ポケットにしまう。 がたんごとん、揺れる車内は冬の午後の眩しさで溢れていてとても温い。差し込む暖色で空中の埃が目に付く。 生温いのは隣に座るA君と接触した面から伝わる体温も一緒で、彼らが相手を飲んでしまうのもわかるような錯覚に陥る。 だって寒いときにさらさらの砂を飲んだらとても温かそうだ。昔々こんなように冬の午後に電車で隣に座った彼らのひとりに「実は」 とまるで幼稚園児が重大で繊細な秘密を話すときのようにひっそりと耳打ちして教えてくれたところによると、億光年の苦痛に揉まれ皮膚から欠損していき 思考を個体を放棄した誰かがたくさん居て哀しみの余りひとつになってしまったのが砂の正体なのだそうだ。誰かとは。誰かとは。 午睡に溺れる対岸の人々の奥のガラス越しに広告のついたたくさんのビルが流れていく。僕はそれをなんとなく見ている。
「ねえすごく大切なこと教えてあげようか」
隣で知らないA君がとても静かに囁く。僕は「うん?」と相槌を打つ。 ビルがなくなり一瞬広い大通りに出て日差しを遮る物が無い車内は眩しくて何も見えなくなる。
「私たちは億光年の苦痛に揉まれる内に皮膚から髪の先から爪先からぼろぼろと涙腺が壊れてしまったかのように落ちて剥がれて乖離して欠損していって 悲しくて悲しくてどうしようもないからお互いを食べることにしたんだ、そうしたらついでにひとつとして不要になった思考を個体を放棄した。 そんな誰かがたくさん居て哀しみの余りひとつになってしまったんだけれどまだ足らないんだ、 どこかに僕になるうちに止まっている僕が居るだからこの心は全て遍く存在するどこかの僕のものでありそれは君だ」 「永久的な欠落を苦痛を回避する術としての捕食だ」「恒久的な欠陥を痛苦を補填する為としての結合だ」
「・・・ねえそれ誰に聞いた」
「わたしが私に言ったのを聞いた僕がぼくに教えてくれたの」
「それって全部結局君じゃないか」
「だって全部私だもの僕と私しかいないもの」
「じゃあ僕は?」
「君も私だよ」
「・・・」
「ひとつの鉱石であった頃の私としての君だよ」「知らないふりをたくさんのひとがしているけれど」「だけど、またひとつの鉱石に戻ってもどうなるんだろうね、」
「日暮里、日暮里、お出口は右側です」
僕の返事を無視して、流れたアナウンス通りにA君は右側の出口に立つ。
「君はここで降りれない、63分、もう一周してください、またね」
裸足でホームに跳ね下りると先ほどの彼らとは違い砂にならずそのまま走って消えていく。 代わりに幾人かの人間だか彼らだかが入ってきて、僕の隣には誰か知らない人が座る。A君とは違い暑い体温をしている。 不愉快な、他人の体温を。億光年の苦痛に揉まれ皮膚から欠損していき思考を個体を放棄した誰かがたくさん居て 哀しみの余りひとつになってしまったのが彼らであるとするならば、億光年の苦痛に揉まれても自我を保つ皮膚と思考と個体を存続させ続ける たくさんの誰かの一つ一つであるところの僕らは哀しくないのか、哀しいに決まっている。 哀しいけれど剥がれない皮膚の為に僕らはひとつにはなれず、だけれど悲しみが募りすぎて溶けてしまう僕らも居るのであろう。そこは微かな遠く。 僅かな過去であり。ホームの奥に消えていくいつかの誰かである。誰かとは誰かとは。誰かとは。たくさんの誰かはひとつの君へ集約されていく。 選択肢は限りなく少ない。大抵の物は二択しかない様にここにあるのはたくさんの彼であり君か、ひとつの僕なのだ。 なんだかとてもさみしくなってしまった僕はポケットからケータイを出してみる。1、2、3。数字を触ってもそこから彼らには繋がらない。 そもそもこれは何かに繋がるための媒体ではないのだが。がたんごとん、発車する。次に駅に止まった時降りるのは誰だろうと当てるゲームをしよう。さよならだけが、


眠たい鉱石
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