資本主義経済の果てに、「国内で出産された者には性別の如何、国籍を問わず、名前を誰かから奪う義務が生じる」と政府が発表した年代に「僕等」は産まれてしまった。 それなので分娩台の上で、中小ホワイトカラーの優良一般市民であるところの中産階級の母親の胎盤を噛み千切ろうと殺意を溢れさせたのも、 悲鳴を上げている間にこんなややこしい構造の社会を説明される赤子の気持ちになれば至極全うでしかない。
「名前」は無から生まれることがない、生命が卵子と精子が合わさってしか生まれないように、「名前」は他者から奪うことでしか成立しない。 第××代天皇がそう仰ったのは、だいぶ前のことで、この言葉から現代史はそれ以前、以降と区分される。 神様が何をしたかったのか、それは文献をたどるにこういうことだ、円卓に集まった各国のかみさまたちが決めたのは「人間が多すぎて困るし飽きたから減らそう」ということ。 名前は無から生まれることがない、誰かから奪うだけのものであり、生まれ続けることがない。 そういう規定の元に精子と卵子がセックスして、赤子のぼく等が父親か母親を殺し、名前を貰い、生まれる。
名前は名前同士交尾して繁殖することがないからである。
なので僕の名前は「くみこ」である。分娩台の上でその名前を「購入」した。名前がなくなったものは関係ですら示すことが困難なので名前を買われた対象は皆「渡辺さん」と呼ばれる。 渡辺さんたちは「渡辺さん」共同墓地で皆燃やされる、火葬場も墓地も、現在生きている人間の領土を侵す程広くなってしまったからである。「合理性」二言目にはそう呟くいつかの大統領の好み通りに。
僕たち生存者はむかしむかし「親」と呼ばれていたものから名前を奪うのが通過儀礼になっている。第一子は大抵父親から奪い、母は冷凍保存された精子を子宮に入れて第二子を作り、第二子は母親の名前をいただく。何代も繰り返すうちに女か男かよくわからない名前になる。きれいな悪循環であり正気の沙汰ではないこんな法律早急に廃止すべきであると宣言した賢き科学者は殺された。 だからもう誰もそんなの普通だと思ってとめたりしないのである。異常と正常の線引きは社会の中で規定される。異常な社会では正常こそ異常で逆転がおきてしまえばまた逆転が起きることは難しい。そんな逆転が何回かおきてもうだれも正常と異常のただしい判別方法を忘れてしまった。もちろん僕も、彼女も。最後のひとりに誰かがなるまで特に変わることがない。
「スープに髪の毛が入っていらしてよお兄様」
「髪の毛ごとお食べ妹」
僕の姉は「ひろと」という、僕の姉であるとこの彼女は父親だったものの冷凍精子から生まれた。なぜだか僕をお兄様と呼ぶのが好きで、僕も彼女を妹と呼ぶのが好きだ。ぼくらはとても広い家でとても狭く慎ましやかに旧制明治時代のように古臭いブラウスとシャツとスカートとズボンを着て、親の残した食料と文献を食い潰して生きている。 文字通り穀潰しである。時々メールで届く国報で現在の社会の様子を伺う、
「現在国営病院が一つあり完全予約制、出産に関するご相談は直ちに以下まで24時間フリーダイヤルです、法の及ぶ範囲は首都東京に限られています、中央線以外の線路は民間運営線路になります、首都東京以外の都道府県は壊滅的状況、食料の輸入は途切れ…備蓄を…、現人口の残存推定年数は100に満たないだろうとの予想…」
おそらくすべてはかみさまの予定調和であり、別段悲観することもないのが救いである。 大きなビルを上ったり下ったりして書籍を整理するのが趣味であるとこの僕の現在の興味は国報の全文章化であり、もしもこの先広い広い宇宙の中のなんちゃら星人が荒廃した地球に降り立ったときにビルの中の文献を眺め「へえ、この惑星の人間はなんてばかだったんだろうね」といって笑い話にしてくれるのを期待しているのだ。
「お兄様、今日は何をお読みになってくれるのかしら」
「おまえは創世記がすきだからね、今日もこれを読んであげよう」
 妹は創世記が好きで、20階に所蔵してある宇宙の話なんかはあんまり好きじゃない。  
「いつか来る他星人のことなんかよりわたし昔のおばかなかみさまの話のほうが好き」
「どうしてなんだい」
「なにかのレンアイショウセツで読んだのよ、お兄様、女は先の話よりも過ぎ去った過去の話が好きなんですって」
「なるほど」と僕は頷き、ぼろぼろになった聖書をめくる。
「…かみはまず、はじめにひかりあれと」
このビルには消灯がない、残された電気資源を自由に使えるからだ。きえるときにはみんないない。だから物語のはじめがまぶしければ終わりは暗いのだな、となんとなく思う。
僕はただ思うだけで、あとは誰かが勝手に意味をつけるだろう。









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