花屋の角の電柱で君の亡霊が泣いていた。カフェラテの溶けた氷に君の未練が混ざっていた。帰宅ラッシュの交差点で蹲る君の姿を見た。それらのふとした瞬間に眼球に飛び込んでくる残像はちらちら爆ぜながら僕の頭を拘束する。 そうしていつしか目蓋を睡魔で縫合されると、同じ光景を見るようになった。
いつかの状景のようでともすれば昨日の午後かもしれない。気付くと君の冷めたミルクに近い体温が手の範囲にある白昼夢を見ている。 場所がわからない。だけど正面に君がいる。硬質の足が長いチェアとテーブル。電車の到来を告げる気怠いアナウンスが聞こえたから、ふらりと立ち寄った最寄り駅中のスターバックスかもしれない。幽かな談笑とよくわからないピアノの音がするから、よく週末にディナーを楽しんだ近場の創作イタリアンレストランかもしれない。 とにかくそこは飲食店のようだった。だってずっと挽きたてのコーヒー豆とドリップする芳香、スチームミルクの甘さが浮遊して鼻孔を擽っていたから。
僕が頬杖つきながら君を見ると、色素の薄いロングヘアーをいつものようにシニョンにしていて、白のチュニックに小さなネックレスをしていた。いつもの瀟洒な服装に、耳元のシンプルなシルバーのピアスをよく弄るいつもの癖。「ほら、また」と僕が指摘すれば彼女はなるほど、と肯いた。
「このピアスはねそこらの可愛い女の子たちがする様に個性主張しつつ属性を示して埋没するためのエポレットじゃないの。だから暖炉の火に輝かないの」
「君はどちらかといえばエリスじゃないかと思うけれど」
「わたしは男に捨てられて気狂いにはならないよ」
だろうね、と肯定と苦笑を洩らし赤いストローでホイップクリームの上を瀟洒に飾るミントを除去する。紙ナプキンの上に置くと白の紙繊維にじわりとコーヒーの黒が広がっていくのが少し面白いような気がした。 僕を見ながら彼女は冷めはじめたブラックコーヒーにクリームポーションをまたひとつ追加する。爪先は滑らかなベージュピンク。
「それでね。このピアスはただのお飾りでは無くて意味があるのよ。それもすごく大事な」
「うん。それで?」
「このピアスには呪いが掛かっているの。それも眠り姫もびっくりな解除不能のやつ」
「これねえわたしの大事な人の遺品でね、飛び降り自殺したんだけど遺書の中にあったの。君は僕を追って必ず飛び降りなきゃいけないって、そうじゃないと俺に会えないだからそれまでこれをつけていなさいって面白いと思わない?」
取り除いた筈のミントが僕の口腔で涵養されているざわざわと、それを嚼んだ。厭な清涼感がじわりと広がる。

それから?それからどれだけたったのかはよくわからない。ただ今の僕に君は呪いを掛けないで死んだ。
「僕もそれ、欲しかったな」
彼女が死んでから空けたピアスホールには小さな樹脂の目立たないピアスがしてある。ここに埋まる楔を贈与してくれる人がいないから、穴だけある。墓穴も死体もいるのに土を埋めて墓標を刻む人が不在だ。そしてそれは君以外ありえなかった。 だから僕は今日も生者の群棲を眼球の落ちた眼窩だけで眺めて、味の無いショコラフラペチーノをミントごと嚼んで、電球を消す。閑寂の平穏の中で僕は耳元に縋る。けれどもそこには心臓を冷却する鉱物がない。幾ら軟骨の輪郭を往復しても見つから無い。ごとり、循環器が無機物の音を立てた。

薄荷で誤魔化せない墓標の名は
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