何者にも媚びず拠らず靡かない野生動物の毛並みと牙を携えた高貴で崇高な生き物であるところの僕達は、砂時計を無常にも何度も何度も引っくり返す神様のせいで 少しづつ足の指先、爪先、鬣の先、そういう些細なところからざりざりと砂の生き物に捕食されていってしまう。
どうやら咀嚼速度は身をおく空間の規模に反比例しているらしい。 畳数畳ぶんの世界では体はすぐに指の骨から肩の骨、肋骨、とバリバリ壊され食べられていくのだけれど、25mプールの世界で遊泳しているのならば ゆっくりゆっくり溶かされていくので最初に皮膚がとろけて、次第に内部の内臓がほどけていく。もっと大きければもっと遅いのだろうし、それならば世界ひとつの中に一人でぽつんと立つ人は 体が食べられないのかもしれない。それはつまり一人きりと言うことで、体を食べてくれる液体だったり固体だったり気体だったりが存在しないということだ。 それは皮膚が咀嚼される苦痛より、骨が粉砕していく苦痛より、内臓が融解していく苦痛より、はるかに大きいのではないかと思う。
だからぼくは狭い狭い部屋に今も居る。
射光カーテンと石膏の壁とフローリングとそれから白い天井で四方を囲まれた1kで、ゆるやかに指先がほどけていくのを待っている。 首筋は綺麗に磨かれているのでいつだって食べてもおいしいだろう。 そうして今日もコーヒーを胃袋に流し込んで、カーテン越しの天気を予測して、布団に潜り。
早く腐る朝日を見たいのだ。

ぼくらの言い訳としては

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