you got a mail,you got a mail,you got a mail,you got a mail,…
ベッドの傍に放置してある充電器に繋いだ儘の携帯電話から流暢な英語の発音がしたので背後を一瞥する。 起床時のブランケットの散ばりを維持したままの空間で、チカチカと明滅する赤い受信ランプとランプに呼応し蠕動するバイブの動きが、気持ちの悪い生き物のように見えた。 外側からぼくをよぶ生き物、赤い色と生命体らしい微動と無機質な細い機械。つい最近あれを喧しく感じたのはまだ肌寒い由比ガ浜で先日伊勢丹で買ったばかりの華奢なミュールが汚れるのを厭わずに砂を裸足で掻き分けていたときだったが、 そのときは確か近くにいた初老の男性が飼い犬のグレート・ピレニーズに投げたフリスビーを模倣して遠く、遠く、に投擲したのだったと思う。思う、曖昧な感想なのは枕元でガタガタ這っているあれが何代目の生き物なのか覚えが無いからであり、 そんなこと覚えていても別段生存に支障は及ぼさないのは、あれを洗濯機に水没させたり、花火を見て帰った後の隅田川に流したり、豪雨の火曜日にゴミ捨て場に出したり、そういうことを何度も繰り返しているから経験則として学んだことだ。 だから、今日もぼくはその振動をパソコンに繋いでいるスピーカーから流れる環境音楽の一緒として捉える。
あれは僕が関与せずともいつしか勝手に呻き声を上げるし、餌を与えるにはコンセントと充電器を繋げたままにしておけばいい、鳴いて五月蝿いときは雨の日を待って窓を開けて投げ捨てればいい 、そして僕が必要なとき、僕の生存に必要な例えば冬になるから新しいコートだとか、カーディガンだとかシャツだとかブーツだとか、そういうのじゃなくともおなかが減ったからアイスクリームだとか、なんとなく白桃が食べたくなっただとか、そういうときにアレの首輪をこっちにもってくればいい、 そういう認識だし概ね間違ってはいない。 だから今日はそのぼくの飼い犬を無視した。
僕には恐らく、忘れてしまったことが多くあるのだろう、しかしながら忘れた存在について幾ら思考しても思い出すべきもののことが思い出せない。 忘れてしまうということは思い出すべきではないということではないか、と同時に思う。要らない物は不要だということであるのは自明の理であり 僕たちは燃えるごみの日にたとえ大事なものを(例えば数年前の誕生日に誰かしらに貰った貴金属だとか、数年前のいとおしい誰かの筆跡が連なった薄い用紙だとか)間違って出してしまったとしても 出してしまった事実について懺悔し後悔したとして、その対象について渇望することはあるまい。だってもうあの子は焼却場で灰になっちゃったから。 掌握できない対象について延々思考するほどの愚考は、思考停止と同等であり、進行し続ける僕の存在は一秒前の行動を覚えない。
それにしたって外の向かい側の家の赤子がうるさく泣き喚く、今日は土曜日なのに。

飼い犬は鳴かない
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