柄杓に汲んだ水を撒き散らす彼のまなざしは酷く倦怠に満ち、ワンサイズ上のベストが怠そうに肩から落ちている。「元気?暇?僕は暇だ、」そう独白した言葉は誰にも届いていないと思っているのだろうか?不敬虔な態度で御影石を殴る手付きが震えていたのを僕は直ぐ傍で見ていたけど




誰もいない交差点で自転車のハンドルを握り締めている、信号の明滅だけが雄弁に閑寂を語る。タイヤの摩擦音が遠くの大通りから聞こえる、あとは空気が沈澱するだけ。見上げた窓には明かりがないけれど、左手で送信したメールはすぐに返信がくる。「窓の外にいるよ」 はまだ送れない




枯凋した徒花の被膜を撫でればきみは四肢を震わせて、僕の体温を拒む。タイルの水面で暴れながらカタカタと僕の指から逃れる。「アンソールの死霊みたいで綺麗じゃないか、余剰がない」索漠たる浴室の中を粉々の君と泳ぐ。そういえば君には体温がなくて硬質だ。…どうしてだっけ?




「モラトリアムの延長をいつまで続ければ清廉潔白に完成されるんだろう」「そんな近代的なものじゃない。原罪のために無垢にはなれない」「人間になるには不足がある?」「創造物としては充足している」背中合わせのパイプ椅子が軋轢を産む、眼窩の色彩差が膿む。向かい合わない儘




「僕たちを縛るものは多すぎる、性別、出生、家庭、社会的地位、学歴、貯蓄、倫理、社会……ねえなんで僕は僕のままの、そうだなあ剥き身の卵のように、薄膜も殻もない状態になれないのだろうね、」「だから僕は飛ぼうと思ったんだ」ネオンと薄靄の逆光を浴びて緩い弧月が浮んでいた




向い側のホームでクリームブラウンのシニョンが風に嬲られているのから怠惰に視線を固定し続ける。リネンのストールに花柄レースのロングワンピ。彼女の肢体は全て柔和な曲線でだから揺れるのだ。稲穂の瑞々しい黄金なのだ。ケータイから目を上げた彼女がわたしを見た。(心音)




無機質な白いモルタルの床にペットボトルを殺意混じりに投擲する細い嫋手には血管と骨が浮いている。私は止めない。凝視する私を一瞥した彼女は抑揚の乏しいアルトで「暇なら兎林檎作って」と幼児のように強請る。「わたしが溺死するわたしのお腹の海で兎が泳いだら素敵じゃない」




「正しくここはユゥトピアのようだね、栄養を考えた一汁三菜の食事が三食、個人に配られる綿の衣服、室温管理された4畳半はトイレ水道つき、働くところもあるし、頼めば本も読める、外で遊ぶこともできるだろう、それにここには罪を犯す人がいないね」彼は監守に向けて莞爾と笑った




薄い粘膜に包まれる。生温い羊に満ちる。その中に半熟の生命体である僕がある。僕の成長過程の四肢も躯幹も五臓六腑も眼球も低温の羊水に触れて爛れる。爪先で膜を破ろうにも神経は混線している。粘膜が世界で羊水が羨望だとすら知らぬ間に蠕動して溶けた。(それは嫉妬)




木製線路の上で往復する。長身の雑草を茎を折り葉を毟り征服してひとつの枕木で停止した。「ガタンゴトン」訥々と吐き出したオノマトペを一瞥する炯眼はここに無い。「C,a fait longtemps qu' on ne s'est pas vus」小さな花束を投げた。


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