交差点の2つ先、老夫婦が営む小規模ながらも常連客の耐えない花屋とポストにダイレクトメールの詰まった廃屋の隙間へ雑踏から逃げ出し滑り込む。花屋の段ボールと緑のウレタンが散乱する間を通れば、ビルの屋上にあがる錆びた鉄階段。「久しぶり」とプロパンガスの上で猫が鳴いた。




細胞が緻密に整列した肌理を眺めていた。指を這わせても温度も質感もなく、比喩ではなく陶磁器のそれだと感じる。試しに叩いてみたら、白磁は赤く染まって中国陶器のようだった。割れない僕の茶器、ただいつも赤くなると水が溜まるので、器には茉莉茶も烏龍茶も淹れたことがない。




君の足跡を辿ってもどこにも着けないことを熟知していながらも、辿る。愚昧な時間の浪費方法でしかない。いつもと同じように深夜に雑居ビルに侵入しさび付いたドアノブを開ける。「未練を残してから飛んでくれたらよかったよ」誰へとも知れぬ嘲りはピンクのネオンが食べてしまった




薄い湯船で落としたタバコの火がいつ消えたのか覚えてない。ただずっと塞がれた視界の外でちらちら揺れている光があって、剥き出しの肌理に触れているようで糜爛しているところが見える。「火、怖いよ」君は無言。私に触れているのは冷めた湯と消えたアイシーンの光で、溺れた。




足元をふらふらと泳ぐ蛾をワークブーツの爪先で踏み潰すとコンクリートにペースト状の体と鱗粉が広がった。汚ないなあ、嘆息しながら体内の酸素を吐く。気泡が蠕動し蒼天へ抜けていく。羽根の生えた種を追いかけていた夏にはこんな海底にいなかったし巧く泳げたのではなかったか。




好きだよと呟きながら君は僕の酸素を強欲に奪い、代替の二酸化炭素で風船を膨らませ遊ぶ。無邪気な稚児の手付きでワイシャツの鈕を千切る。それなのに眉間を歪めるから、口元の弧月が不釣り合いに虚空に浮いてしまう。吐き捨てられた「Shut up」は僕の口の中で溶けない儘。




さっきから彼女の唇より生産される言葉に欠陥がないか品質検査をしている。時々質の悪い語彙があって、それを脳内で廃棄に回す。虚像を造り出すのが好きなのかもしれないし、完全な筈の彼女には許されないと思うからかもしれない。願わくば、彼女が高貴であらんことを。




シーツを握る汗ばんだ手のひらが気持ち悪い。秒針を戻そうと背伸びする背中に唾を吐きたい。カルボナーラを食べる手付きの覚束無さがイライラする。毒にも薬にもならないやり取りをしながら常温水を流し込んでいるだけのような気がしたが、考えてみたらいつも腹痛だったようだ。




自己責任が押し固まって地底掘ってもどこにもいけないので、仕方ないから君、君が硫酸の肥料を如雨露で注いでくれれば僕はどろどろに溶けて晴れて腐葉土と一体化出来るのだと思う。ほら早く一緒に理科準備室の前に鎮座する人体模型を破壊しに行こう、鍵ならもう盗んであるから。




「眠いのに寝ないよ寝れないよ」と言ったら君が慌てて心配してくれたのでハルシオンを生ゴミの日に纏めて捨てた。青い錠剤よりも君の焦燥をぬるい水道水で飲み下しているほうがローコストローリスクでずっといい。ただね、気づいたらもうずっと眠れないでいる。君の心配が食べたくて。

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