赤いカッターナイフを足元に投げ出して眠いよ疲れたよと悲嘆する白い頬を撫でずに叩いた。「痛いよ」言ったのは僕であり君だった。伝達不能な僕らのたったひとつの冴えないやりかたが入れ物を破壊する事だったのだけど、君が君でなく僕が僕でなかったら上手くやれたんだろうね。




雑音に焼かれるまで君の声をリフレインした。いつか口ずさめなくなったら僕はひたひたと静止する海面のように鼓動だけを繰り返そう。人肌が冷たく感じる熱帯夜には寂しい音程で僅かな歌を囁こう。もしかしたら君聞いているかもしれないから。そんなことを夢見るくらいはいいよね。




赤い靴はいた女の子の春風に乗る軽快なステップを異人さんは愛したの?赤い靴はいた女の子の白磁の肌理と陶器のように艶やかな骨を異人さんは愛したの?赤い靴はいた女の子の足の形状がちいさな靴にフィットしたのを異人さんは愛したの?ねえねえ異人さん、あなたは靴を愛したの?




電車の揺りかごで行く墓場は夏の庭にある。そこには驕慢も吝嗇も格差も無くてただ緩慢な静止が蔓草に雁字搦めにされて横たわっているのだ。ガタゴト揺れながら茎は僕の腕に食指を、或いは触手を伸ばす。いただきます召し上がれ、早く冷めてしまう前にと両手を合わせる夢を見た。




白山羊さんは排気ガスに塗れた宛名のない10行程度の喪失を投函した。黒山羊さんは産業廃棄物のそれを余所見しながら咀嚼してお腹を壊して死んでしまった。量産した悲しみを梱包しても発送出来なくなった白山羊さんも在庫を抱えて困惑したら死んでしまった。残ったのは喪失だけ。

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